Farewell

2002年11月18日

Just wanted to leave a note that, I won’t be returning.
It’s been fun, tinkering with words, so many of them,
like a JAVA program.
I just hope they compiled in your minds, and that they
have left even the slightest impression.
That’s a lot to ask for, but I’ll convince myself my
wish has been fulfilled.
And with these utterings, I’ll leave this site, reasons untold.


やってもうたー

2002年11月3日

白いシャツを洗濯機で青く染めてしまった。

コインランドリー暦10年の経験を持つ僕がこんな
無様な失敗をするとは。あまりにも見事に染まったので、
元々薄いネオンブルーのポロシャツだったと思えない
事も無い。それに、白いシャツが四枚もあったから
その内一枚が変色してバラエティーが増えていい。
これを負け惜しみと言うんだろうな...


レトロ

2002年11月2日

大学のブックストアに寄って雑誌売り場を覗いたら、
目的の雑誌は置いてなかった。Timesなどの雑誌や新聞
なら中央図書館にあり、専門誌は分野別の図書館にある
けど、ホビー系の雑誌はどこにも無い。学術的価値が
無いと見なされているのだろう。

探している雑誌はClassic Trains。アメリカの鉄道の黄金時代を、
鉄道にあらゆる形で携わった人々の回顧録と写真を通して
偲ばせてくれる。と、言っても蒸気機関車はもちろん、Amtrak
以外の長距離旅客鉄道があった時代などを僕が覚えて
いる筈も無く、綺麗な写真と文面から滲み出る、鉄道が
まだ生活の一部だった頃の歴史感が好きで読んでる。

ただ単に鉄道が好きだ、と言うのが読んでる一番の理由
だけど、歴史やレトロな物も好きなので、その二つを
合わせたClassic Transは正にスウィートスポット。

レトロ好きだなんて、オヤジ嗜好の典型だけど、
旧国鉄塗装の気動車に乗りに山陰地方まで鈍行を乗り継いだり、
好きな車がVWのミニバスだったり、持ってるカメラがMF
一眼レフだったり、好きなモビルスーツがザクだったり、
疑いの余地が無い程のレトロ好きだったりする。


初雪

2002年11月1日

夕方、初雪が降った。

窓の無いCAD室から出ると、外の世界は白く染まり、
湿った雪が降っていた。ここ数日は気温がどんどん
下がってきてたけど、雪を見て初めて冬の到来を実感
できた。

冬日和

2002年10月31日

今日はべらぼうに天気が良かった。

9時のバスに乗らないでクラスまで歩く。冬の利点の一つは、
遅く起きても早起きの爽快感が得られる事。日陰にはまだ
霜が残り、空気も刺す様に冷たいけど、その分顔に当たる
朝日のかすかな温もりが気持ちいい。

その反面、日が暮れるのが早いので、夕飯を食べにCAD室
から這い出ると既に暗くなっている。あんなに綺麗だった
今日という一日はどこに消えてしまったのか。でも、夜は
街路灯が輝くキャンパスも綺麗だし、星空を眺めながら
帰路をのんびり歩くのも気持ちいい。

昔のレコード

2002年10月27日

落ち込む時は大抵、長い間音楽を聴いていない時だったりする。

それだけが理由じゃ無いけれど、そんな時はCDをかけながら
雑誌を読んだりしてる。いまだにCDと言うメディアから音楽
を聴いてるなんて古臭いかも知れないけど、昔からあるCDを
デジタル化する時間と気力も無い。

友達はみんなMP3プレイヤーとかを持っているこの時代に、
僕が買った最新のオーディオ機器はレコードプレイヤー。
5000円位だったと思う。おばあちゃんの家を掃除していた
時に発掘された大量のレコードを聞きたくて買った。

レコードの大半は母が若い頃からの物で、殆どがクラシック。
高校を主席で卒業したガリ勉少女だった母の過去を垣間見た
気がした。その中に紛れて数枚、ビーチボーイズやビートルズ
もあった。安心すると同時に、ちょっとくすぐったい感じがした。

教授のユーモア

2002年10月23日

Differential amplifierの講義で生徒の笑いを取れる教授は一種の
人格者かも知れない。

教授の、「ところで、なんでこれがTelescopic OpAmpと呼ばれて
いるか分かる?」の問いに、「ゲインを倍増できるから」とか、
「ゲインとoutput swingが反比例するから」等と真面目な回答が
生徒の間から上がる。その一つ一つに頷きながら教授、

「いや、ただこうやってトランジスタが連なってる所が望遠鏡に
見えるからだよ。」

これでクラス一同笑いに包まれるが、教授のいつもと変わらぬ
笑顔からはこれがジョークだったのか窺い知れない。

変わって、高周波の教授は外見がNutty Professorにそっくりと
言う点以外はあまりユーモアを感じさせてくれない。講義も
黒板一面に数式を書き連ねながら聞き取りにくい声でブツブツと
話す為、内容以上にヘビーに感じられてしまう。その上、字が
やたらと汚いから、関数がどれも同じに見えたり、いきなりρやら
φやらが出てきて、「ああ、これはほにゃららね」とだけ言って
どんどん進んでしまう。でも、そういった問題以前に僕は内容を
理解するのに未だに苦しんでいる。とほほ。

講義の内容を理解できる様になれば、あのくぐもった声の裏に
隠されたユーモアを見つける事ができるのかも知れない。



「またべーさん、日本語が上手ですね。」

日本での就職活動中に何回か面接官に言われた言葉。
言われる度に、「あ、どうもありがとうございます。」
と、誉められたと思って素直に返事をしていたけど、
これは考えてみるとおかしい。僕は日本人なのに...

海外生活が長い、という事を自己PR等を通して伝えて
いたから、面接官はその点を考慮して言ったのかとも
思える。でも、やはり僕の喋り方や挙動におかしい点が
あったから僕≠普通=日本人とみなして言ったとも思える。
考えすぎかも。

どっちにしろ、練りに練った自己PRと志望動機を披露
した後に、「またべーさん、日本語が上手ですね。」
では、ずいぶん気勢を削がれる。珍しがられると言う事は、
なめられると言う事と大差無いのかも知れない。これも
考えすぎかも。

小学校一年生の時、クラスに洟垂れ小僧がいた。40人中
彼だけが鼻から上唇にかけて二本の緑色の線を延ばして
いて、クラスメートからは珍しがられていた。正確に言えば、
気持ち悪がられて苛められていた。恥かしながら、僕も
彼を苛めた記憶がある。

なんか、話が脱線してるけど、来年からは洟垂れ小僧に
ならない様に気を付けようと思う。


余談だけど、ある時、交差点で見知らぬ老人に道を尋ねたら、
親切に教えてもらった後、まじまじと顔を覗き込まれて、
「日本人ですか?」と聞かれた。かなりショックだった。


お買い物

2002年10月16日

友達が車を手に入れたので、一緒に食料品の買出しに行った。

彼は日本人のくせに運転が荒く、極度の方向音痴なので、
助手席に座った僕にとっては冷や汗の連続だった。高速に
乗って、「アメリカってどこも広いからスピード感覚が
鈍るんだよね。ほら、もう100キロ出てる。」と、のんきに
勘違いしている彼に、「違うよ、それマイルだよ!時速
100マイル!そんなに出さなくていいよ!」と必死に減速
するように怒鳴ったりした。

目的のアジア食料品店は隣町の外れにある小さな店で、
ありとあらゆる食材が所狭しと詰まれていた。食材の
大半は中国語で記されたビンや缶に詰められていて、
正体不明の物体が浮かぶビンがならべられた棚は、中学の
理科室の標本棚を思い浮かばせた。店の一角には、
小奇麗なパッケージが目立つ日本の食品が置いてあり、
ポッキーから寿司の素まで色々揃っていた。

部屋にキッチンはある物の、調理器具が鍋一つしか無い
僕はインスタントラーメンだけを買って友達にあきれられた。

日本に帰ったら炊飯器を買ってまともな自炊をしようかと思う。


学部時代の戦友

2002年10月14日

久し振りに大学時代の友達からe-mailが届いた。

学部は一緒だったものの、あまり話す機会も無く、
3年の時まではお互いクラスで見慣れた顔、と言う
程度の間だった。4年の秋にプロセッサーの授業を
一緒に取っていらい親しくなり、就職活動でも
お互いに情報交換したり励ましあったりして来た。

そのクラス、名物教授が教える人気科目であると共に、
過剰な課題の提出量から、生徒達の間ではごく単純に
「地獄」と呼ばれていた。教授は筋金入りのワーカホリック
で、「プロセッサにパイプラインとキャッシュを付けたら
A+をあげるよ。」と彼が言った時は、クラス一同ジョーク
だと思って笑ったけど、彼の目を見て笑いは数秒で沈静した。

狭いCAD室で一緒に勉強している内に自然と
クラスメート同士で意気投合し、徹夜開けの日の出を
工学部ビルの屋上から一緒に眺めたり、コーヒーの
買出しに行ったりしてなんとか精神崩壊を免れていた。
あまりの忙しさに、クラスの外で今まで築いてきた
人間関係はもろくも崩れたけれど、クラスを通して
新しい友情を築けたのが嬉しかった。

出来上がったプロセッサはと言うと、アーキテクチャが
60年代の遺物である以前に、無数のバグがはびこるガラクタ
同様のシリコン隗だった。


白に近い紫

2002年10月11日

今日は小雨が降ったり止んだりする中を、街まで歩いた。

銀行に用事があって、丁度バスをミスった所だったので、
30分の道のりを歩く事にした。街とは言っても、飲食店と
工芸品店が数件、アウトドア用品店、古本屋、薬局、銀行が
各一軒あるぐらいの田舎町。その周辺も住宅街と言うよりは、
森の中に家が点在している、と言った方が正確かもしれない。

道はうねる様にして街まで降りていき、道端の大きな木々は
街路樹では無く、森の一部だと分かる。家屋はどれも木々の
てっぺんより低いので、遠くの丘の上から見れば、この一帯は
手付かずの森林に見えるのだろう。

その中の一軒に目が止まった。こぢんまりとした二階建ての
家で、外壁は白に近い程の薄い紫色だった。それだけなら
パステル調の塗装を持つ回りの多くの家々と区別が付かなかった
だろうけど、入り口の横にもみじの木が一本立っていた。
その葉が燃えるような見事な赤色に染まっていて、道路から
見ると家の薄い紫が紅葉の色を引き立たせていた。住人が何故
その色を選んだか分かった様な気がした。

夏には森の濃い緑に対して涼しく、秋には紅葉を引き立たせ、
冬には雪より濃い紫。湿った落ち葉の匂いを嗅ぎながら、僕も
そんな色の家に住むぜいたくを味わってみたいと思った。


Go Celtics!

2002年10月9日

久し振りの日記になってしまったけど、それは僕の怠けの
所為でもあり、ただ単に日々の生活に特筆すべき出来事が
起きない所為でもあると思う。

昨晩、ESPNのウェブサイトに表示されたBoston 100 - New York 91
のスコアを見て思わず心拍数が上がった。そうか、pre-seasonは
既に始まっていたんだ!忘れていたとはNBAファンとして
不覚。今シーズンもBoston Celticsを応援していきたいと思う。

僕がセルティックスファンなのは、昔ボストン近郊に住んで
いて、5回程観戦に行った事があるから。セルティックスは
NBA史上最多の16回優勝しているけど、それは過去の栄光
であり、80年代に活躍したスター、ラリー・バードが引退
した後は長い冬が訪れていた。僕がセルティックスを初めて
観たのはそんな氷河期の94年。明確な再興プランも無く、
毎年無名選手が入れ替わり、チームはリーグの底辺を彷徨って
いた。でも、何故か僕が観に行く試合には勝ってくれた。
運が良かっただけだろうけど、安席から友達と一緒に地元の
弱小チームを応援していたのはいい思い出になった。

そして去年、セルティックスはEastern Conference Finals, つまり
準決勝まで進出し、今年はEastern Conference制覇の期待が
高まっている。長い道のりだったけど、チームは着実に成長
しており、17つ目の優勝バナーを掲げる日も遠くは無いと
信じている。

僕に取ってセルティックスの魅力は過去の栄光では無く、
近い将来に達成するであろう優勝への歩みであると思う。

来年の不安とか

2002年10月5日

今週は内定先の企業で内定式があったらしい。

最後まで溜め込んでいた宿題を夜遅くまでやりながら、
「ああ、今ごろみんなスーツ着て社長のスピーチ聞いて
いるんだろうなあ」なんて考えていた。

来年から働くと言う事に対しての不安は山ほどあるが、
その内の一つは身だしなみ。社会人たる者、身だしなみ
は整っていて当たり前。服装は技術者だからカジュアル
だろう、なんて楽観している部分もあるけど、問題はヒゲ。

早い話、毎朝ヒゲを剃るのがめんどくさい。

大学では不精ヒゲを伸ばしたまま授業にでたり、教授に
会ったりしている。多少清潔感に欠けるかも知れないが、
周りも大体そんな感じだから改善する気も起きない。

不精ヒゲ位なら問題無いけど、学部全体の衛生管理が
危機的状態に陥るのは期末である。何日も実験室に篭って
いると、さすがに異臭が立ち込める。そこにいる間は
気付かないけど、一旦シャワーに入った後に実験室に戻ると、
強烈な酸っぱい悪臭に立ち眩みそうになる。

時々、風向きによって獣医学部の方から動物達の臭いが
キャンパスを襲うけど、期末に限っては工学部といい勝負
かも知れない。

ずいぶん話が逸れてしまったけど、来年からは清潔感漂う
まともな社会人になりたいと思う。


ゴルフの魅力

2002年10月3日

僕はゴルフと言う物を一度だけやった事があるけれど、
不思議と面白い物だと思う。

昔は、あんな物スポーツではなく親父どもの道楽だ、
なんて軽蔑していたけど、友人と一緒に18ホールを
回ってその魅力に触れる事が出来た。

その友人も初めてだった為、練習場でバケツ3杯分の
ボールを引っ叩き、なんとか真っ直ぐ飛ぶ様になると
コースに挑んだ。スコアは4ホール目には数えるのを
諦めたが、12個のボールが全て無くなる前に全ホールを
クリアする事ができた。

ボールを真っ直ぐに飛ばすのが難しく、大抵は大きく
反れてしまう。でも、真っ直ぐ飛んだ時の快感は、
「ああ、やっぱりこれはスポーツなんだ」、と実感
させてくれる。上手くグリーンに乗せた時なんかは、
「わいは猿や、プロゴルファー猿やーーー!」なんて
叫んだりしていた。


祥さん、リンクありがとうございます。


バスケの季節

2002年9月30日

僕に取って、地面を彩る落ち葉は秋だけでなく、バスケの
シーズン到来を告げている。

11月にはNBAと大学バスケのシーズンが始まり、毎晩
ひいきのチームの成績をインターネットでチェックしてから
でないと寝られなくなる。11月下旬の感謝祭にあわせて
Pre-Season NIT大学バスケトーナメントがNYCで行われ、
学部生の時は毎年マディソンスクウェアガーデン、通称MSG
に巡礼者の如く足を運んだ。

大げさかも知れないが、MSGは野球で言えば甲子園、つまり
バスケの聖地の様な所だと思う。ビルの谷間に無数のコートが
存在する街ニューヨーク。バスケに慣れ親しんで育った市民が
バスケを観に来る所がMSGであり、選手が望める最大のステージ
であると思う。

そこでPre-Season NITの準決勝、決勝、三位決定戦が二日に
渡って行われる。出場校もDuke, North Carolina, Arizona, Stanford,
Kentucky, St.John’s, Purdue等とバスケの名門校ばかり。応援団
まで連れて来るチームもあり、シーズン初頭のニュートラル
コートでの試合ながらも十分に盛り上がる。

バスケ観戦はお気に入りチームの応援も楽しいが、なによりも
スタジアムの雰囲気が好き。目の前でプレーが次から次へと
展開する緊迫感、ファインプレーが決まった瞬間に観客が沸く
あの一体感。タイムアウト中にも観客を沸かせる応援バンドと
チアリーダーとマスコットも、ユーモラスな野次で笑いを取る
おやじも、バスケ話を交わす隣席のファン達も全部好き。テレビ
では得られない体験がスタジアムにはある。


最後にひとつ

If basketball were my religion,
the gym is my church,
and Madison Square Garden is my Holy Land.


やっぱり太ったー!

2002年9月27日

ジムに行った際に体重を量ったら156ポンドあった。

7月頃に量った時は145ポンド位だったのを覚えているから、
ずいぶん急激に太った事になる。去年からのズボンがきつく
感じるのは気のせいじゃ無かった様だ。

子供の頃から母は栄養にうるさく、間食は3時のおやつ以外
はダメだと念を押されていた。父も自ら反面教師となって、
間食の弊害を示してくれた。その為か、コンビニなどに行っても
菓子を衝動買いする様な事は無く、市販の菓子なんてそんなに
おいしいとも思っていなかった。

ハーゲンダッツのアイスバーを口にするまでは...

一口で、なんで今までアイスが好きじゃ無かったんだろう、
と思わせられる味だった。昔、友達がBen&Jerry’sの500ml
サイズのアイスクリームを一心不乱に食べ尽くすのを、唖然と
見てた思い出があるけど、今になって彼女を支配していた
アイスクリームの魔性が理解できた気がする。

おかげで、生まれて初めて「太って」しまった。明日はジムに
行って、せめてアイスバー二三本分のカロリーを燃やして
来ようかと思う。でも、その後にまた食べちゃうんだろうな...


外食ばかり

2002年9月25日

キャンパスの近くに行き付けのレストランが幾つかある。

行き付けと言っても、いつも同じ6件のレストランで
食べているので、全部で顔を覚えられてしまっている。
大学にアジア人学生が多い為、インド、中華、韓国、日本、
ベトナム料理屋が揃っていて、普通の田舎には無いグルメ
が味わえる。その五つにサブウェイを加えた六件を不規則に
巡って、一日二食、腹を満たしている。

ベトナム料理屋なんかは、座るとオーダーも取らずに僕が
よく注文する料理を持って来る。今日は違う物を食べようかな、
なんて思っていてもついつい口に出せず、いつものヌードルを
食べてしまう。とても美味しいのだが...

明日は意を決して新しいメニューに挑戦したいと思う。

インド料理屋は$6でランチが食べ放題なので、いつも
食い意地を張ってガツガツ食べている。実験をやっていると、
次の飯に何時ありつけるか分からない。工学部で身に付いた
そんな卑しい生存本能が食い溜めに駆り立てるのだろうか。


へっぽこキム太郎さん、リンクありがとうございます。

流れに乗れば

2002年9月23日

久し振りのバスケだったけど、今日は調子が良かった。

3対3で試合をして、15点ゲームを13対6で負けていた
のを、大逆転して勝った。わははは。

相手のディフェンスがきつくなかった所為もあり、シュートが
入り始めると、チームも勢いに乗ってどんどん点を決め
始めた。そうして流れが変わると、それまで圧倒的だった
相手側も慌て出し、オフェンスが滞った。

やっぱり、同じレベルの人達が試合をすると、流れが試合
の結果を左右する物だと思う。流れを作るのは、自信だったり、
疲労だったり、怒りだったり、運だったりする。今日は諦め
かけていた時にシュートが連続で決まり、勝てる自信が
チームに生まれたから、流れが好転したのだと思う。

勉強の方もいい流れを作って打ち込めない物だろうか...



コンピュータ室にいると、様々な会話が耳に入って来る。

その中でも興味深いのは、学部生の自慢話。自分がどこで
インターンをしたか、そこで業界の有名人に会ったとか、
先学期の成績が良かったとか、友人がシリコンバレーで
何百万ドル稼いでいるとか、とにかく多彩である。テクノロジー
セクターの不況が騒がれているけど、自信に満ち溢れる
彼らの会話を聞いていると、未来の技術革新の芽は着実に
吹いているのだと感じられる。


それにしても、天気の良い金曜日の午後にコンピューター室
に閉じこもっているのは不健康だと思うのは僕だけだろうか?
六時を回ってもコンピューター室は静かな活気に満ち、週末と
言う安息の気配すら感じさせない。おまけに、この部屋は窓が
無く、80台のコンピューターと二台のプリンターだけが存在
する、グレーで無機質な空間だ。作業に没頭していない限り、
息が詰まりそうになる。

そんな中で黙々と作業をする生徒達から逃げるように部屋を出て、
家路を急いだ。でも、部屋に戻ると週末の予定が全く無い事に
気付き、不味いインスタントラーメンをすすりながら本を読んだ。


どがじいさん、リンクありがとうございます。

運転の恐怖

2002年9月19日

僕は運転をするのが怖い。

何年か前に日本で免許を取ったが、以来4,5回しか
ハンドルを握っていない。教習所では、「なに4速で
トロトロ走ってんだ、こらー!5速に入れんかい!」と
怒鳴られたり、「あなたは事故に巻き込まれるタイプですね。」
とか言われたりして、試験や実技は一発で受かった物の、
腕には全く自信が無い。

路上実習中、踏み切り前の上り坂で二度もエンストを起こし、
遂に発進しようとしたら遮断機が降りてきてしまい、
後続車の怒りのクラクションに晒されたエピソードもある。

運転は人の性格を表す、と聞いた事があるが、僕のトロい運転
は正にその通りだと思う。


水音さん、セルヴァンテスさん、リンクありがとうございます。


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